DQN共ざまぁ!悪を悪として描き切れる能力がヒーローの条件
なぜヒーロによる制裁は癒やしになるのか
バイトテロと呼ばれる不謹慎な行為をSNSに載せるバカッター、
感情のままに危険な走行をする煽り運転、
権力を傘に傍若無人に振る舞うスポーツ協会の重鎮、
不倫に興じた女性芸能人、
などなど、彼らの行為をことさらに叩き、社会的にも精神的にもダメージを与えることに癒やしを感じる人達がいます。
小学館クリエイティブ ヒーローズコミックスの新刊「マグナレイブン」は、そんなバッシングに勤しむ彼らの心の受け皿となってくれる作品です。
一説では、こういった攻撃的な正義感は自身が持つ劣等感に起因すると言われています。
つまり自分自身が弱いから、他人の弱さを攻撃して安心するということです。
「そんな行為は無意味で無価値だ!」
そう断じる人もいるようですが、私は悪を許せない正義感の気持ち(過度にバッシングしたくなる気持ち)もわからないではありません。
なぜならそこに癒やしがあるからです。
いじめとは、いじめられる側にとってはとてつもない苦難ですが、いじめる側にとっては癒やしであると言われています。
今の時代のバッシングはいじめそのものでしょう。
過度なバッシングであり、いじめであり、制裁です。
目には目を
歯には歯を
悪事には制裁を
制裁が癒やしであることを、私は感覚的に理解しています。
ワイドショーでベッキーがLINEを晒されていた様子を見て、私の脳にドロリとした官能的で醜い色の液体が滲み出た感じがしました。
それは裏切り者を検知した達成感と、私の劣等感を一時的に麻痺させる効果があったようです。
もちろん私は、私自身のそんな部分が嫌いです。
だから、誰かを制裁したいと思う気持ちを託せる物語「マグナレイブン」が必要だったんだと思います。
本当にやりたいことを失くした男とそれを見つけた男
何かひとつのことに命を捧げたことがあるか?
命を捧げるものがないなら塀の中でも外でも変わらない…
マグナレイブンの作中で主人公の一人、浦瀬飛月(うらせひづき)の言葉です。
浦瀬は世界一のボクサーになる夢を、とあるDQNホストの愚行によって諦めざるを得なくなります。
その理不尽さに対する厭世感、憤り、絶望は彼を復讐行為へ駆り立てました。
復讐を達成した後の彼にはもう何もなく、上のような言葉が出てきます。
対してもう一人の主人公、朝比奈陽人(あさひなはると)は
きっと僕と同じようにヒーローを待ってる人がいる…
その人を助けることが……救うことができるなら……
僕は後悔なんてしません
と述べています。
これは朝比奈にとっての『命を捧げるもの』であり『やりたいこと』です。
しかし、ヒーロー行為は単なる制裁としての側面も持つ危険な行為です。
その危うさを引き受ける覚悟があると朝比奈は、この作品は宣言しているのです。
正確な悪の選定こそヒーローの条件
名探偵の回りで殺人事件が起きるように、ヒーローの周辺では完全なる悪人による完全なる悪事が行われます。
本書「マグナレイブン」でもその約束は守られており、朝比奈が悪の検知を担保しています。
だからこそ読者たる我々は安心して「ヒーロー行為≒制裁行為」を楽しめるのであり、暴力の正しい魅力を感じることができるのです。
まとめ
この作品を語るにあたって、原作者:板倉俊之に関して触れないわけにはいかないでしょう。
そう、あの有名な笑いコンビ「インパルス」の板倉俊之が原作者なのです。
彼の作品は「トリガー」、「蟻地獄」、「機動戦士ガンダム ブレイジングシャドウ」と、ヘビーな内容が多い印象があります。
穿った読み方かもしれませんが、彼の相方の事件に対しての報道やバッシングに憤りを感じていたのではないかと考えさせられました。
本作「マグナレイブン」も単なる水戸黄門的な展開が続くのではなく、あらゆる悪の表現の仕方、切り取り方が発揮されると思います。
次巻以降にも期待したいと思います。